福岡高等裁判所 昭和22年(ナ)4号 判決 1947年9月29日
主文
原告等の請求はこれを棄却する
訴訟費用は原告等の負擔とする
事実
原告等は「昭和二十二年四月三十日施行された佐賀市會議員選擧における被告の當選は無効とする。同年五月十七日佐賀縣選擧管理委員會においてなした被告を當選とする裁決はこれを取消す。」という判決を求めその請求原因として昭和二十二年四月三十日施行された佐賀市會議員選擧において五月一日開票の結果選擧會は被告の得票を三百三十五票として被告を最下位の當選と決定し得票三百三十四票の原告〓本二郞を次點と決定した。ところが右選擧に於ては被告の外に同姓異名の小柳保夫が立候補していたに拘らず選擧會は「小柳先生」と記載した二箇の投票を被告の得票として算定したのである。そこで議員候補者たる原告〓本二郞及選擧人たる原告江藤冬雄は小柳姓の立候補者が二名ある場合「小柳先生」と記載した二票は何れの小柳を指したものか即ち被選擧人の何人を記載したものか確認し難いものとして地方自治法第四十一條第一項第七號により無効なりとし從つて原告〓本二郞を當選とすべきものと主張し昭和二十二年五月五日被告の當選に對し佐賀市選擧管理委員會に異議を申立てたところ同委員會は原告等の主張を容れて「小柳先生」と記載した二票を無効と判定し被告の得票を三百三十三票として原告〓本二郞の得票の次位に置き同原告を當選と決定した。これに對し被告は同月九日佐賀縣選擧管理委員會に訴願したところ同委員會は被告が大正十年以來現在まで引き續き佐賀市内小學校の敎職に在るに反し小柳保夫はこれまで敎職に在つたことなく先生と呼ばれるような特別の經歴がないと云う理由によつて「小柳先生」と記載した二票は被告に投票したものであると認めて被告を當選と裁決した。けれども先生という言葉は學校の敎職員の外政治家、著述家、醫師、辯護士等社會の指導的地位に在る者は勿論圍碁、將棊、生花、謠、琴、尺八等遊藝の師匠等に對しても廣く用いられ職業經歴等によつてその範圍を限定することはできないものであるから職業名ではなく「殿」や「様」と同様に單なる敬稱と解すべきものである。まして小柳保夫は昭和十七年頃武德會から劍道三段を允許されて以來昭和二十年八月終戰に至るまで長崎市三菱造船所に勤務中同所の劍道々場において師範代として多数の者に劍道を敎えて先生と呼ばれ又その敎を受けた者で終戰によつて佐賀市に歸鄕した者も少くないのである。のみならず同人は終戰後佐賀市に歸鄕して以來現在まで同市伊勢屋町の青年團長に就任して社會の指導的地位にあり又今般の佐賀市會議員選擧に立候補した者で市政の運營につき一見識を有する政治家であつて團員は勿論一般社會の人々も同人を先生と呼んでいるのである。從つて小柳保夫はまさに先生と呼ばれるにふさわしい地位に在るものというべきであるから「小柳先生」と記載した二票は被告又は小柳保夫の何れを選擧したものか確認し得ないものであつて地方自治法第四十一條第一項第七號に該當する無効のものであるから被告の得票は三百三十三票とし原告〓本二郞の得票三百三十四票の次位に置き同原告を當選とすべきものであると陳述し被告が大正十年四月から今日に至るまで引續き佐賀市内各小學校に敎員として奉職し世間一般から先生と呼ばれていることは認めると述べた。
(立證省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め答辯として原告〓本二郞が昭和二十二年四月三十日施行された佐賀市會議員選擧の議員候補者原告江藤冬雄がその選擧人であつたこと、右選擧において五月一日開票の結果選擧會は被告と原告〓本二郞の得票を原告等主張のやうに算定し被告を最下位の當選者原告〓本二郞を次點と決定したこと、右選擧においては被告の外に同姓異名の小柳保夫が立候補していたに拘らず選擧會は「小柳先生」と記載した二箇の投票を被告の得票として算定したこと、原告等主張のやうな經緯過程を經て佐賀縣選擧管理委員會が被告を當選と裁決したこと及び先生という言葉が原告等主張のやうな色々の社會的地位に在る者に對して用いられることは認めるけれども小柳保夫が先生と呼ばれる地位に在つたことは否認する。元來被告は大正十年四月から今日に至るまで引續き佐賀市内各小學校の敎員として奉職し世間一般から小柳先生と呼ばれていることは顯著な事實である。これに反して小柳保夫は店員事務員等をして永く佐賀市を離れ終戰後歸鄕した者で未だ嘗て先生と呼ばれるような職業や地位に在つた者ではない。從つて「小柳先生」と記載した二票は被告を選擧したものと認むべきは當然であつて被告を當選と決定した佐賀縣選擧管理委員會の裁決は相當であると述べた。(立證省略)
理由
昭和二十二年四月三十日施行された佐賀市會議員選擧において五月一日開票の結果選擧會が被告の得票を三百三十五票として被告を最下位の當選と決定し得票三百三十四票の原告〓本二郞を次點と決定したこと、右選擧においては被告の外に同姓異名の小柳保夫が立候補していたに拘らず選擧會は「小柳先生」と記載した二箇の投票(成立に爭ない乙第一號證の一、二によれば一票は「コヤナキ先生」一票は「コヤナキセンセイ」と記載されたものであるが便宜上二票とも「小柳先生」と記載されたものとする)を被告の得票として算定したこと及び原告等主張のような經緯過程を經て佐賀縣選擧管理委員會が被告を當選と裁決したことは當事者間爭ないところである。
從つて本件における唯一の爭點は「小柳先生」と記載した二票の投票を被告を選擧したものと認めて有効とすべきか將又被告或は小柳保夫の何れを選擧したものか確認し得ないものとして地方自治法第四十一條第一項第七號により無効とすべきかに歸着するのである。
思ふに投票の記載が被選擧人の何人を指したものであるかを認定するには單に投票の記載自體のみならず選擧當時の一切の事情をも參酌してこれを決すべきものであるところ先生という言葉は當事者間に爭のないように學校の敎職員の外政治家、著述家、醫師、辯護士等社會の指導的地位に在る者は勿論圍碁、將棊、生花、謠、琴、尺八等遊藝の師匠等に對しても用いられるのであるが總ての者に對して無制限に用いられるものではなくその範圍には猶一定の限界があつて一藝一能に秀でて他人に敎授するか或は特別の知識經驗又は才能を有して世人の師表と仰がれる者等を總稱するものというべきであるから「殿」や「様」と同様に單なる敬稱と解すべきではなく敬稱であると同時に抽象的にして極めて廣い意味における職業名をも兼ねているものと解するのが相當である。
そして被告が大正十年四月から今日に至るまで引續き佐賀市内各小學校に敎員として奉職し世間一般から先生と呼ばれていることは當事者間に爭がないから小柳保夫が先生と呼ばるべき職業乃至社會的地位を有する者であるか否によつて「小柳先生」と記載した投票を何れの小柳を選擧したか確認し難いものとして無効とすべきか將又被告を選擧したものと認めて有効とすべきかが決定されるわけである。ところで證人小柳保夫の證言によれば小柳保夫は當年三十歳にして昭和十一年三月十九歳の時佐賀縣立商業學校卒業後直ちに福岡市内の岩田屋商店に勤め昭和十三年一月同店を退き佐賀市伊勢屋町の實家に歸つたが間もなく熊本遞信局佐賀工務出張所に勤め庶務掛をしていたところ同年十二月久留米砲兵隊に入隊し昭和十七年四月満期除隊後は長崎市三菱造船所會計掛に雇われ翌年同所電信係に轉じ長崎市に一家を構え昭和二十一年二月休職となつて佐賀市に歸省して以來同市伊勢屋町青年團長や日新學校區青年副團長に就任し昭和二十二年六月から金物商を始めて現在に至つたことを認め得るが右の程度の經歴職業乃至社會的地位を以てしては未だ同人が先生と呼ばるべき地位に在つたものとは認め難い。尤も同證人の證言によれば同人は昭和十七年十二月劍道三段を允許せられ長崎の三菱造船所に勤務中毎週二、三囘同造船所の道場に通つていたことは認められるが同人が師範代として多數の者に劍道を敎え先生と呼ばれ又一般社會の人々からも先生と呼ばれていたという原告等の主張事實にいたつてはこれを認むべき證據はなく却つて右證人の證言によれば同人は未だ曾て師弟というような關係で劍道を敎えたこともなく又人から先生と呼ばれたこともないことを認めるに十分でありその他同人が先生と呼ばれるような地位に在つたことはこれを認めるに足る資料は存在しない。
以上認定の通りであるから「小柳先生」と記載した二箇の投票は被告を選擧したものと認めるのが相當であり從つて被告の得票は右二箇の投票を加へ三百三十五票として被告を當選とすべきものであるから原告等の請求は理由ないものとしてこれを棄却し訴訟費用の負擔について民事訴訟法第九十五條第八十五條第九十三條を適用して主文の通り判決する。